仙台を訪ねて

日本滞在中にいろいろな方のつながりを通して
塩釜聖書バプテスト教会に所属していらっしゃる大友恒雄さんご家族を訪ねることができました。
大友さん宅は仙台市若林区。
3月11日の地震と津波で壊滅的な被害を受けた地域でした。

085.JPG


遠くに見える松林の向こうが海。
もともと空き地だったわけではなくて
すべて流されて何もなくなってしまって
海まで見通しがよい空き地のようになってしまった場所です。
私が訪ねた間もなく震災から半年を迎える頃には
雑草が生い茂るようになっていました。

054.JPG


大友さん宅1階のリビングから見る景色。
松林の向こうからきた津波の勢いはこの窓を突き破り、1階にあったすべてのものを
流していったそうです。
このリビングでは教会、教派を越えて彼らが行っているミニストリー「家の教会」が主催して
コンサートが開かれたり、日々たくさんの人たちが集っていた場所でした。
コンサートに用いられていたこのリビングにあったピアノも流されたまま出てきていないそうです。

この日は夜の祈り会に参加しお話しを聞き共に祈りました。

次の日は七ヶ浜汐見台の海側まで行きました。

100.JPG


右側の防波堤を越えればすぐ海、というところに家が建てられていた
という事実にも驚きますが
もはや家の基礎しかなく、それさえも歪み移動している状態に津波の勢いを想像させます。

そしてさらに東松島の方まで回りました。

131.JPG


この写真のような景色、また海沿いにあった老人ホームの近くまで行きましたが
仙台の中心地と違いまだ瓦礫が残っている場所も多く、
目の前に広がる景色について私は表現する言葉を持っていませんでした。

突然の訪問者を快く迎えてくださった大友さんご夫妻は、御自身たちも被災者であるのに
車を走らせご自宅を見せてくださり、まだ瓦礫の撤去が進んでいない場所を
一緒に回ってくださいました。

144.JPG
塩釜聖書バプテスト教会の前で

ご自宅のある場所は国より危険区域に指定されてしまったため
津波により浸水したところは1階部分だけで、修復すれば住める状態であるのにもかかわらず
家を取り壊しその場所から離れなくてはならないそうです。

2年後には国から仮設住宅扱いとして与えられているアパートからは
出なくてはならないという現実の中、
日々主に頼り、祈られているご夫婦とご家族の方々の信仰に
私自身本当に励まされました。

私もヨーロッパから祈りによって支援していきたいと思います。
この被災地訪問でたくさんの方々と出会いました。
この出会いを神様に感謝します。







001a.jpg

渥美充代

Mitsuyo Atsumi






7月31日静岡県浜松市生まれ

国立音楽大学声楽科卒業後ロータリー財団奨学生としてイタリアミラノに留学。

ミラノ音楽院で声楽、kuniaki Ida国際演劇学校で演技を学ぶ。

日本に帰国後8年ぶりとなる2009年、ヨーロッパにいる日本人への宣教のために再びミラノへ。

95年新宿シャローム教会で受洗。現在ミラノ賛美教会にて奉仕。


個人ブログ
泉から生ける水の川流れて

最近のブログ記事

集められて再会のとき
真夏のDuomo。スイスのZermatt…
ミラノがらん
オランダから帰ってくるとミラノは人がい…
ゴッホ美術館
オランダ最終日は主日礼拝の後、アムステル…