修養会でイエスの十字架のことを考え続けました。
イースターではその十字架の死から復活されたイエスを喜びます。
イースター礼拝ではなんと10年ぶりに教会の聖歌隊に参加しました。
もちろん、歌詞は韓国語。
そんなに大人数ではないのにソリストが集まっている合唱のすばらしさを肌で実感。
声の響きが高いことと子音のポジションがえらく前なことを、中に入って目の当たりにする。
それは彼らがただ声を張り上げて歌っているのではないことの証拠でもある。
でもこれはテクニックの面。
何よりも指揮者が賛美の歌詞に感動しながらする指揮が
歌い手たちの感情を解き放ち、それがひとりひとりの信仰の告白となって
音楽と絡み膨れあがっていく。
その予期してもいなかった音のふくらみが自分たち側から出ていて
自分たちが今その中にいるのだ、ということもまた賛美しながら感動する理由でもある。
生きて働かれる主にそこで出会うのだ。
なんという幸い!
また埋め込みできないのでここに見に行ってください。
組曲Gloria e Potenza の最後の曲
「昇天・Ascenzion」
イースターではその十字架の死から復活されたイエスを喜びます。
イースター礼拝ではなんと10年ぶりに教会の聖歌隊に参加しました。
もちろん、歌詞は韓国語。
そんなに大人数ではないのにソリストが集まっている合唱のすばらしさを肌で実感。
声の響きが高いことと子音のポジションがえらく前なことを、中に入って目の当たりにする。
それは彼らがただ声を張り上げて歌っているのではないことの証拠でもある。
でもこれはテクニックの面。
何よりも指揮者が賛美の歌詞に感動しながらする指揮が
歌い手たちの感情を解き放ち、それがひとりひとりの信仰の告白となって
音楽と絡み膨れあがっていく。
その予期してもいなかった音のふくらみが自分たち側から出ていて
自分たちが今その中にいるのだ、ということもまた賛美しながら感動する理由でもある。
生きて働かれる主にそこで出会うのだ。
なんという幸い!
また埋め込みできないのでここに見に行ってください。
組曲Gloria e Potenza の最後の曲
「昇天・Ascenzion」
充分大人数です。
すごいぃ。
唄声も、楽器陣も。
みっちゃんが真ん中で歌ってるのも、なんとなく嬉しかったっす。
>shiro
お。2列目真ん中にいるのわかりました?
本当に恵みの時でした。